〜仏事110番〜


           生きてゆく力がなくなるとき
                              坂村 真民
  死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなるときがある

  そんなとき お寺を訪ね 

  わたしはひとり 仏陀の前に坐ってくる

  力わき明日を思うこころが 出てくるまで坐ってくる

 
 
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法事について
法事(年忌)とは
お盆、彼岸について
お盆と盂蘭盆の由来 迎え火と送り火 精霊棚 初(新)盆 彼岸の由来 彼岸会
作法について
合掌のしかた 焼香のしかた 五観の偈 数珠の作法
寺院について
七堂伽藍 三黙道場 座禅
禅語について
布施 以心伝心 身心脱落 照顧却下 六根清浄
その他
お題目 お経 
 
《参考》
お寺ネット・・・・人生・仏事の相談室、かけこみ相談室、討論室等があります。




 
法事(年忌)とは
亡くなった人を追悼するための忌日、命日に行われる大切な行事が法事です。
この追善供養のしきたりは、インドでは亡くなった日から四十九日までの七週間
(七七日)霊を祀っていました。その後、中国において儒教思想と結びつき、百ヶ日、一周忌、三回忌を加えた十仏事となり、日本ではさらに七回忌、十三回忌、三十三回忌を加えて十三仏事になったものです。
「四十九日」までを中陰と呼びます
人間は亡くなってすぐに、地獄とか極楽に行くわけではありません。昔、インドの教えによると亡くなってから四十九日の間に来世の行き先が決まるとされています。来世とは仏教の教えである六道、すなわち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天のことです。
初七日(  七日目) 書類審査によって生前の行状が裁かれる。(不動明王)
二七日( 十四日目) 冥途の旅の最初の難所、三途の川。(釈迦如来)
三七日(二十一日目) 生前の邪淫の罪が裁かれる。(文殊菩薩)
四七日(二十八日目) 秤をつかって生前の罪状の重さが決められる。(普賢菩薩)
五七日(三十五日目) 水晶の鏡に生前の罪状が写し出される。(地蔵菩薩)
六七日(四十二日目) 五官王の秤と閻魔王の水晶で罪状が再吟味される。(弥勒菩薩)
七七日(四十九日目) 最後の審判が下される。(薬師如来)
※ご家庭の年忌供養については、過去帳に記されている忌日を「年回年忌表」目次で検索してみてください。

 
合掌(がっしょう)
私たちは、仏さまやお墓の前等でごく普通に手を合わせます。これは仏教独特のかたちであり、日本の遠い祖先から伝えられたこころのあらわれでもあります。
その時、右手が仏さま、左手が衆生
(しゅじょう)すなわち私たちをあらわし、その両方がひとつになる姿が合掌(がっしょう)と言えます。合掌の手は、5本の指をきちんと揃え、指先を鼻の高さ、一握り前辺りに上げます。合掌という言葉の通り、両方の手のひらをピッタリ合わせることが大切です。
また、礼拝するかたちにも是非、注意したいものです。ただ首だけを曲げる人、背をかがめるだけの人がありますが、見た目にも美しいとは言えません。腰から真っ直ぐに傾けてお辞儀をしましょう。

 
数珠の作法
礼拝する時、数珠(じゅず)を親指と人指し指の間、又は左の手首にかけて合掌します。
もともと数珠は、お釈迦さまが悟りをひらかれた時、頭上にあった菩提樹
(ぼだいじゅ)の実を紐(ひも)に通したもので、実を1つずつ指でまさぐっては1回ずつ仏さまの名を唱えたものでした。つまり数をかぞえる玉と呼ばれたものです。
やがて、菩提樹の実はきれいな石やガラス玉などにかわり、その数も108、つまり人間の煩悩
(ぼんのう)の数になりました。しかし108の数珠はあまりにも長過ぎ、次第に半分、またその半分と数が減り、6分の1の18個の珠が一番多く用いられるようになりました。
ところで数珠をガチャガチャ擦り合わせる人がいますが、決して美しい礼拝とは言えません。礼拝のあるところ仏法あり、ということを道元禅師は教えておられます。礼拝は仏法の根本と考え、心を込めて行いたいものです。

 
焼香の作法
日常生活の中にはいろいろな香りがあります。目には見えず、姿かたちがありませんが、不思議と人の心を動かす力を持っています。世界第一級の香木、正倉院の蘭奢待(らんじゃたい)には三つの切り取ったあとがあり、それは足利義将、織田信長、明治天皇と言われています。

仏さまに香を供養するにあたっては、仏教の宗派によって作法が多少異なります。
 「
禅宗」では、葬儀、法事の時は焼香の前後に喪主に対して軽く会釈をし弔意を表し、右の三本の指(浄指)(主香)を軽くつまみ、丁寧におし頂いて念じて焚きます。その後に少量の香(従香)を焚きますが一般の方は丁寧に一回、頂いて焚くのがよいです。
 「
天台宗」「真言宗」「浄土宗」は、線香を三本立て、焼香は三回がよいとされています。
 「
浄土真宗本願寺派」は、焼香は一回、線香は折ったものを横にして礼拝します。
 「
真宗大谷派」は、焼香は二回、線香は折って横にして燃香します。
 「
日蓮宗」は、焼香は一回、線香は一本です。

 
彼岸の由来
「暑さ寒さも彼岸まで」と昔から言われてきています。この時期は、夏も過ぎて/冬も終わって/暑からず寒からずでたいへん住みやすい頃です。また、農耕文化とも関係があり、「春分の日」は春の種まき、「秋分の日」は秋の刈り入れの頃となります。
彼岸は日本の仏教行事の代表的なものですが、インド、中国、韓国にはみられません。年二回春分の日と秋分の日を中心に、前後三日間ずつをあわせて一週間、「彼岸会」が営まれます。
ところで、彼岸とはインドの言葉、パーラミター(波羅蜜多)を漢訳した「到彼岸」の略したものです。「到彼岸」というのは、理想の世界に到るという意味です。お釈迦様は、こちらの岸から向こうがわの岸に行くにはどうしたらよいかを教えられました。それは六波羅蜜という六つの徳目をお示しになりました。
 一、布施 二、持戒 三、忍辱 四、精進 五、禅定 六、智慧
この六つのうち一つでも行うことによって彼岸に渡ることができるといわれます。

<六波羅蜜とは>
布施は、見返りを求めず、喜んで与えること。
持戒は、正しい生活をする上でのきまりを守ること。
忍辱は、怒りやすい心をおさめ、耐え忍んで心を動かさないこと。
精進は、怠りの心をなくす努力を継続的に行っていくこと。
禅定は、散りやすい心を静め、心を静かに落ち着けるための修行のこと。
智慧は、物事をありのままに見つめ、真実を深く見極めること。

 
彼岸会
春分の日は『生物をたたえ、自然をいつくしむ日』と、秋分の日は『先祖を敬い、亡くなった人をしのぶ日』となっています。彼岸には、それぞれの家庭ではお萩・団子・のり巻き・稲荷寿司などを仏壇に供え、ご先祖の墓参りをして供養します。

ところで「おはぎ」と「ぼた餅」は違うの?
餅米と粳米をまぜてあらくついた餅にあんをつけたものを「牡丹餅」と言い、餅米をたいて、それをまるめ黄粉をまぶしたものを「おはぎ」と言っています。砂糖が一般庶民に流通し始めた江戸時代に並べて食べると白い砂糖が牡丹の花のように見えるので「牡丹餅」、また小豆の粒の散らしたものが萩の花に似ているとして「萩の餅」「おはぎ」の名がついたといわれます。

 
お盆と施餓鬼会の由来
お盆の起源は今から二千五百年程前、お釈迦さまの時代、弟子の目連尊者が「亡きお母さま」へのご供養をされたことが始めとされます。
施餓鬼会とは、人間が他人に対し、奉仕する心のゆとりを失い、ただ自らの利益を追求する欲望の鬼となった報いによって堕ちる餓鬼道で、飢えや渇きの苦を受けている状態にある時、飲食を施し、法力をもって彼らを苦界から救い、人天の世界によみがえらせようとする法会です。
《安田町内の盂蘭盆供養会》
   8月 7日11時〜 小浮 安穏寺  /  午後1時〜 保田 頼勝寺
   〃  8日 〃   保田 宗寿寺
   〃  9日 〃   保田 瑠璃光院
   〃 10日 〃   草水 観音寺
   〃 11日 〃   保田 林昌寺 
 
《初盆、新盆》
亡くなられてはじめて迎えるお盆のことを「初盆」「新盆」と呼びます。お盆は先祖や故人の精霊をお迎えしてその霊をなぐさめることですから、一周忌の法要も営まない時点で迎えるお盆においては、故人への追慕の心も強く、当然ふだんのお盆よりお飾りやお供えを盛大にして供養します。

 
迎え火、送り火
《迎え火》
8月13日夕刻、家の門口や玄関でオガラを燃やし、その煙に乗って来られるご先祖さまに手を合わせてお迎えします。安田(保田地区は14日)では墓地へ出掛けお墓に野菜や果物等をお供えし、ローソクに火をともし線香を手向け、その火を盆堤燈に移して家に持ち帰る。その堤燈の明かりでご先祖さまの精霊を道に迷うことなく一緒に家まで導き、精霊棚の結界にお迎えするという意味が込められています。
《送り火》
8月16日、家に迎えたご先祖さまの精霊を送り火を焚いてお墓に帰っていただきます。その後、精霊棚のおかざりに使ったものやお供え物は川や海に流します。でも、今は・・・?
この行事で有名なものが「五山の送り火」があります。8月16日夜、京都市内を取り囲む五つの山々に赤々と送り火が点じられます。五山とは大文字、左大文字、妙法、船形、鳥居形の五つです。

 
精霊棚(又は盆棚、霊棚、先祖棚)
ご先祖さまの精霊をお迎えするために、篠竹を四方に柱として棚を作り、真菰(まこも)で編んだゴザを敷く。霊座とよばれるゴザの所には位牌や三具足(蜀台、香炉、花立)を配し、蓮の葉に水を垂らした「閼迦水」、ナスをさいの目にきざみ洗米と一緒に清水を満たした「水の子」、ナスやきゅうりで馬や牛を形どったもの、新鮮な夏の野菜、故人の好物などをお供えします。(地方の慣習、風土、環境によって多少異なります)

 
五観の偈(ごかんのげ)
曹洞宗では、特に食事を大切にします。五つのお唱えをしてから箸をとり、一粒のお米、一片のお惣菜も残さずにいただきます。

     
〜五観の偈〜
  
一には功の多少を計り彼の来処を量る。  (多くの人の苦労を思い、感謝していただきます。)
  
二には己が徳行の全欠を忖って供に応ず。  (自分の行いを反省し、静かにいただきます。)
  
三には心を防ぎ過を離るることは貧等を宗とす。  (好き嫌いせず欲ばらず、味わっていただきます。)
  
四には正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。  (健康な身体と心を保つため、良薬としていただきます。)
  
五には成道の為の故に今此の食を受く。  (円満な人格完成のため、合掌していただきます。)

 
三黙道場(さんもくどうじょう)
永平寺・総持寺などの私たちの修行道場では、僧堂・浴室・東司(便所)を「三黙道場」と名づけて、厳しく私語を禁じています。様々な欲望に打ち勝つことはお釈迦様の教えです。

 
七堂伽藍(しちどうがらん)

 
坐禅(ざぜん)
坐禅は、坐禅堂というお堂で行います。普通の寺院には坐禅堂がないところ多いので、本堂を坐禅堂のかわりにします。坐禅堂には、必ず中心に「文殊菩薩」をおまつりします。文殊菩薩は、お釈迦さまの弟子の中で“智慧第一”といわれたすぐれた方だったので、文殊さまにあやかるようにおまつりします。
なお、文殊さまのことを坐禅の時は「聖僧さま」とお呼びします。坐禅堂では、入ってから出るまで、決して喋ってはなりません。

 
布施(ふせ)
布施という言葉の語源は、梵語(古代インド語)のダーナという施しを意味するところからきています。仏教の布施は、布施したほうが相手に感謝する、そういった気持ちで行うのが「布施」です。
そして、布施には三つの種類がある。一つ目は、精神的な施し
(法施)、二つ目は、お金など物の施し(財施)、そして、人にやさしく親切にしてあげる施し(無畏施)を「三施」といいます。他に「無財の七施」といって慈眼施、和顔施、愛語施、捨身施、心慮施、床座施、房舎施のように財物に頼らない布施もあります。

 
照顧却下(しょうこきゃっか)
昔中国の禅師さまが夜の山道を歩いていたときに、お弟子が足もとを照らしていた提灯の灯が、突然の風で消えてしまい、真っ暗になってしまいました。お弟子が「真っ暗で何も見えません」というと、禅師さまが「足もとをよく見ろ」と申されたのです。この一言でお弟子は、禅の修行は自分自身をよく見ろということであることに目覚めました。
「ごめん下さい!」
と玄関に入ったとき、履き物がそろっているお家は家中の心もそろっているお家です。履き物を仲良くそろえてあげると家中の心もそろうのです。「ほんとです!」
禅の修行するお寺の玄関には「脚下照顧」という札が立ててあります。中国語では「照顧脚下」と書きます。
 
六根清浄(ろっこんしょうじょう)
仏教では人間の感覚器官として六つのものを考えています。眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)、意(い) の六つで「六根」といいます。その六根による視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、思惟などを感じ取ることによって、人間は精神的なものと肉体とがひとつになって活動しているといいます。
古くから人々は心身を浄めることを六根を浄めるといいました。登山をする行者は金剛杖を手にして「六根清浄! お山は晴天!」と唱えながら登山することによって、心身が浄められて功徳がみちあふれると考えました。「六根清浄」がだんだん訛り「ドッコンショ!」となり、掛け声をかける時も「ドッコンショ!!・・・・ドッコイショ!!」になったといわれます。