インド仏跡巡拝

平成22年2月4〜13日撮影
[3日目]早朝5時半、ホッケホテルを出発し、霊鷲山登り口に着く。暗くゆっくり歩いて頂上へ(懐中電灯必要)。6時、ご来光前に読経。
晩年のお釈迦さまがこの山に滞在し多くの説法をはじめ、法華経を説かれたと云われる聖地。ここを玄奘三蔵も訪れていると云う。
明治36年1月14日朝、大谷光瑞氏が率いる日本探検隊により仏典上の「霊鷲山」と同一と確定し発見される。下山中、弟子アーナンダの独居を確認する。
@Aホテル DE説法台 LM霊鷲山 PQ弟子たちの住居 RSアーナンダの独居
「ビンビサーラ王幽閉の地跡23〜25」 霊鷲山からバスで30分程の周りは原野。王は息子によって権力を奪われ幽閉されて、可哀相に思った妻が体に蜜を塗り、蜜とミルクで王の命を守ったが、獄中で餓死された話が伝えられている。
「竹林精舎26〜32」 仏教で最初に建立された精舎と云われ、ビンビサーラ王の寄進で伽藍が完成した。雨季には多くの僧が集結して「東の竹林精舎」と云われる。現在、大正大学が取り組んでいるがまだ未発掘が多いとのこと。 ホテルに帰って、9時に出発。
「尼蓮禅河33〜34、大塔・金剛宝座35〜46、日本寺47〜50」
午後2時過ぎ、ブッダガヤに到着。尼蓮禅河はお釈迦さまが苦行の後、身を清めた河。遠くにお釈迦さまが苦行した前正覚山(岩山)が見える。川幅は5.8q、乾季のため水がない。
大塔は高さ52メートル。イスラム教徒から守るため、土で山にして埋めたと云う。全く信じられないことばかり。後ろに仏教の聖地である菩提樹と金剛宝座があり、読経。オウムの麻原彰晃が金剛宝座に上がり、信者、参拝者によって引きずり下ろされた事件以降、中に入ることが出来ない。
近くに日本寺がある。本堂で読経。周りはきれいに掃除されて無料保育施設、無料医療施設がある。京都から若い2人の修行僧、2年契約で来ているとのこと。
(三日目にして食欲無し、体調を崩す。口にするものミネラル水だけ。原因は疲れと驚きからか。私がトップバッター!他の人は元気。夕食はおかゆパック、梅干し、正露丸をいただく。)
*スナップ写真です。悠久のインドの雰囲気を感じ取っていただければ幸いです。
 

 
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[1日目]新潟発(新幹線)→成田空港→ニューデリー(夜8時着、デリー泊)
[2日目]ナーランダ大学址(ラジギール泊)
[3日目]霊鷲山、ビンビサーラ王幽閉の跡、竹林精舎、尼蓮禅河、大塔(ブッダガヤ泊)
[4日目]初転法輪の地(サルナート)、ダメークの塔(ベナレス泊)
[5日目]ガンジス河(沐浴見学)、涅槃の地、涅槃堂、ラマバル塚(クシナガラ泊)
[6日目]降誕の地、ネパール、ルンビニー、マヤ堂(カピラバスト泊)
[7日目]カピラ城、祇園精舎(サヘト)、舎衛城(マヘト)(ラクノー泊)
[8日目]空路、バスで移動(アグラ泊)
[9日目]タジマハール、アグラ城、ニューデリー(帰路機中泊)
[10日目]成田空港到着(朝8時)解散→新潟へ
 
仏跡巡拝(アショウカ)ツアー