インド仏跡巡拝

平成22年2月4〜13日撮影
[6日目]
ブダガヤの菩提樹の下で成道されてから45年間伝導の旅を弟子アーナンダを共に中インドから北インド各地を歩き、晩年故郷ルンビニー、カピラ城(ここクシナガラから200qの所)に向かっている途中のクシナガラで80才で涅槃に入る。
お釈迦さまは弟子アーナンダに「私はもう疲れた。横になりたい。二本並んだ沙羅双樹の間に北枕に床を用意してくれ。」と、アーナンダが整えたその床に右脇を下につけ、足の上に足を重ねて横臥されたと云う。その時、沙羅双樹は時ならぬ白い花を満開に咲かせお釈迦さまに降り注ぎ、天からは曼荼羅(マンダラ)が降り注ぎ、栴檀の粉が虚空から降り注ぎ、お釈迦さまを供養するために天から音色や合唱が奏でられたと経典は伝える。
未明6時ホテルを出発し涅槃堂に行くがゲイトが開かず、ラマバル塚を参拝する。「ラマバル塚」はお釈迦さまを火葬にした所で、高さ6メートルで煉瓦を小山のように積み上げた形である。一巡してホテルに戻り朝食をとる。
再度、涅槃堂へ。すでにたくさんの参拝者がある。公園中央の円筒形、涅槃堂の周りは沙羅双樹、アショーカ樹、ジャンプー樹等が植えられている。涅槃堂をお参りし涅槃像の前で読経。外で説明を聞いている時、急に風が吹き、樹木の葉が舞い落ち、白い花ではない。遠くにカミナリが鳴り、珍しく雨が降ってきました。
私は沙羅双樹はどれかと見回していたら、自分で苦笑してしまった。お釈迦さまのお話は2500年前の出来事。それでも、なお空を見上げてしまいました。(笑)
マヤ夫人が故郷で子どもを産むため、像に乗ってカピラ城から実家へ帰る途中、ルンビニーで休憩したここで、右脇下から男の子が産まれたと云う。
その後、ネパール・ルンビニー(降誕の地)へ移動。それからずっと雨降りで汚れた樹木の葉がキレイになり、窓から見える田園畑や菜の花畑も色鮮やかになった。昼過ぎ、ネパールに入国し、ホテルで久しぶりに日本食を口にする。そして、インドより国際電話が安いと言うので、新潟へ電話する。ちょうど夕食時間で、元気であること。誰よりも最初に下痢したけど、体調は良くなったことを伝える。
その後、マヤ堂を見学する。ここまで来る観光客は少ないとのこと。ネパールを数時間の滞在で出国しホテルへ向かう。
1〜6ラマバル塚、7〜19涅槃堂、23〜32トイレ休憩、36〜40ネパール国境附近、41以降マヤ堂(降誕の地)
(一日雨降り、200q移動しても雨降り。しかし、カサをさす人も見あたらない。長靴を履く人も見あたらない。雨にも負けずみんな必死に生きようとするたくましさが感じられました。)
 
*スナップ写真です。悠久のインドの雰囲気を感じ取っていただければ幸いです。
 

 
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[1日目]新潟発(新幹線)→成田空港→ニューデリー(夜8時着、デリー泊)
[2日目]ナーランダ大学址(ラジギール泊)
[3日目]霊鷲山、ビンビサーラ王幽閉の跡、竹林精舎、尼蓮禅河、大塔(ブッダガヤ泊)
[4日目]初転法輪の地(サルナート)、ダメークの塔(ベナレス泊)
[5日目]ガンジス河(沐浴見学)、涅槃の地、涅槃堂、ラマバル塚(クシナガラ泊)
[6日目]降誕の地、ネパール、ルンビニー、マヤ堂(カピラバスト泊)
[7日目]カピラ城、祇園精舎(サヘト)、舎衛城(マヘト)(ラクノー泊)
[8日目]空路、バスで移動(アグラ泊)
[9日目]タジマハール、アグラ城、ニューデリー(帰路機中泊)
[10日目]成田空港到着(朝8時)解散→新潟へ
 
仏跡巡拝(アショウカ)ツアー